続・野党共闘時代だからおすすめしたい衆院選二回投票制(はじめに)

お久しぶりですね。
野党共闘時代だからおすすめしたい衆院選二回投票制」を書いてから2年半ぐらいたってしまい、実際に2017年に衆院選が行われました。これは民進希望合流騒動と失速、立憲民主党の躍進など、いろんなことがありましたが、きたる衆院選に備え、衆院選二回投票制だったらどうなっていたかをシミュレーションしてみたいと思います。

まず、条件を設定します。

【自民候補者への票】

・自民候補者が1回目投票を通過した場合、1回目に自民候補者に投票した有権者は2回目もそのまま自民候補者に投票するものとする。

・自民候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、1回目の票をもとに比例配分する。

 

【公明候補者への票】

・公明候補者が1回目投票を通過した場合、1回目に公明候補者に投票した有権者は2回目もそのまま公明候補者に投票するものとする。

・公明候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、1回目の票をもとに比例配分する。

【その他与党系無所属、与党系小政党候補者への票】

・その他与党系無所属、与党系小政党候補者が1回目投票を通過した場合、1回目に公明候補者に投票した有権者は2回目もそのまま公明候補者に投票するものとする。

・その他与党系無所属、与党系小政党候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に5割、自民候補に5割とする。自民候補がいなければ比例配分とする

 

【立民、民進系無所属候補者への票】

・立民または民進系無所属候補者が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・立民または民進系無所属候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に8割投じられ、残りは棄権とする。ただし2回目進出の非自民候補が希望候補だった場合は、共産がめっちゃ批判してたし6割投票、4割棄権とする。

【民進議員だった希望候補者への票】

・民進議員だった希望候補者が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・民進議員だったの希望候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に8割投じられ、残りは棄権とする。ただし2回目進出の非自民候補が共産候補だった場合は、連合アレルギーを考慮して7割投票、3割棄権とする。

【民進出身以外の希望候補者への票】

・民進出身以外の希望候補者(浪人中に維新よりになっていた人など含む)が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・民進出身以外の希望候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に7割投じられ、残りは棄権とする。ただし2回目進出の非自民候補が共産候補だった場合は、連合アレルギーを考慮して5割投票、3割棄権とする。

【共産候補者への票】

・共産候補者が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・共産候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に9割投じられ、残りは棄権とする。ただし2回目進出の非自民候補が希望の旧民進候補だった場合は8割、希望の非民進候補だった場合(旧民主を離党して維新などに近づいたタイプを含む)は5割、維新などの是々非々政党の候補だった場合は3割が投票し残りは棄権とする。

【維新候補者への票】

・維新候補者が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・維新候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に5割、自民候補に5割とする。自民候補がいなければ比例配分とする。

【その他の野党・野党系無所属への票】

・その他の野党・野党系無所属候補者が1回目投票を通過した場合、1回目にその候補者に投票した有権者は2回目もそのまま同じ候補者に投票するものとする。

・その他の野党・野党系無所属候補者が1回目投票で落選した場合、その票は2回目進出候補者の、非自民候補に9割投じられ、残りは棄権とする。ただし2回目進出の非自民候補が希望の旧民進候補だった場合は8割、希望の非民進候補だった場合(旧民主を離党して維新などに近づいたタイプを含む)は5割、維新などの是々非々政党の候補だった場合は3割が投票し残りは棄権とする。

(つづく)

野党共闘時代だからおすすめしたい衆院選二回投票制

こんばんは。

参院選が終わりました。簡単に総括してみますと、自公で改選過半数、改憲勢力2/3ではありますが、どちらかというと東北から甲信越まで自民が1人区をことごとく落としたこの選挙、地域に偏りがありながらも、野党共闘をうまく使った地域では自公が太刀打ちできなかったと見ています。

さて、それではこの野党共闘を衆院選でどうするかですが、1人区32で共闘するのと違って、衆院は295全部1人区です。
場所によっては野党現職が2人いたりします。調整が大変です。どうしましょう。

そこで訴えたいのが、日本でも2回投票制を導入することです。
フランスなどが取り入れていて、1回目に予選的な選挙をやり、上位2人か3人で2回目の決勝みたいな選挙で議席を決める方法です。

例えば衆院の選挙期間は今12日、火曜日に公示して次の次の日曜日に投票ですが、これを10日+7日ぐらいにしたいと思います。
木曜日に公示して、金土日月火水木金土と選挙活動をして、日曜日に第1回投票と比例代表の選挙をする。
比例はそこで人数は決定し、選挙区は過半数を取った候補者がいればそこで決定。過半数を取れなかった選挙区では、上位2人で1週間後の日曜日に決選投票をします。

これのメリットは2つあります。1つは自公民共社生維、全部出ても決選投票で自と民とか、自と共とか、公と維とか、どれか2つしか残らないわけですから、予選敗退した政党の人は残った2候補からどちらを選ぶか決めて共闘すればいいわけで、あまり交渉が必要ないことです。

もう1つのメリットは、衆院の人材不足を小選挙区制のせいにして「中選挙区制はよかった。自民から複数の候補が出馬できて競ったから切磋琢磨があった。昔は良かった」と言い出すおじさんたちがいますが、2回投票制なら大丈夫、自民分裂して1議席を自民1、自民2、民進、共産、維新の5人で争っても、予選の1回目で自民のどっちかが残れば、あとは決選投票でなんとかなるでしょう。万年与党自民の中でも切磋琢磨が発生します。

あとは、政党幹部なんかは1回目投票で勝ってしまうだろうから、自分の選挙を終えて全国応援しやすくなるかと思います。

 

やろうよ2回投票制。

デメリットとして、「2回も投票させたらめんどくさくて投票率下がるんじゃないの」というのがあるかと思いますが、日本人は統一地方選っつうやつで2週間おきの選挙に慣れているので、さほどの問題はないかなと。

 

やろうよ。

 

終わり

 

雲仙普賢岳大火砕流。なぜ消防団は危険地域にいたか

6月3日、43人の死者、行方不明者を出した雲仙普賢岳大火砕流から23年の節目を迎えた。

今年もまた、twitterなどで熱心につぶやかれた言説がある。

たとえば
雲仙・普賢岳の大火砕流でマスコミに殺された消防団員

64 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/04(月) 12:46:45 ID:er+ywW1V0
マスコミ関係者などが死んだ「定点」は、避難勧告がでていた。
危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。しかし、マスコミ関係者は、強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めていた。

そんな中、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。
住民に不安が高まり、そのためもあって、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。消防団員以外の地元犠牲者はたしか5名。それ以外が約35名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。

そしてこれが重要なんだが、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。

ウィキペディアも 雲仙岳

被害の背景には、当初発生した小さな火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し、十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため避難勧告地域内の「定 点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。これにより報道関係者は消防・警察も立ち入らない危険地帯に多く滞在することとなっ た。また一部の報道関係者が、避難して無人となった人家に不法侵入するなどしていたため、不安を憶えた地元住民が住居に帰ったり、命令を受けた消防団員、 警察官が事件再発を防ぐために設けられた警戒本部に出動させられた。結果、火砕流は「定点」に居座った報道陣のみならず、消防団員、警察官、地元住民を飲 み込んで犠牲者を出すことになった。

ウィキペディアの上記の文章の出典、というより根拠はこちらのようです。消防防災博物館:調べる-まさかの噴火-「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より-

 マスコミは、当時、火砕流がもっともよく見える北上木場地区の「定点」といわれた場所で、火砕流の迫真の映像を撮影しようと毎日のように取材を行ってい ました。この「定点」を含む地域一帯はすでに避難勧告地域に指定され、住民は全員避難していて、住宅には誰もいませんでした。報道関係者は、この無人と なった家に上がり込み、テレビカメラのためにコンセントから無断で電源を盗用しました。このため消防団は、土石流の警戒に加え事件の再発を防ぐ目的もあっ て翌2日には再びこの「定点」の近くの北上木場農業研修所に警戒本部を設けることにしました。そして6月3日の夕方4時8分、それまでにない大規模な火砕 流が発生し、この「定点」付近にいた人たちを一瞬のうちに飲み込みました。

ただ、この安易な「マスコミが全部悪い」というストーリー展開には、かねてより批判も多い。そんなとき、「雲仙普賢岳の火山災害における情報伝達および避難対策」という論文がツイッターで流れてきたので、各新聞の記事などとともに、備忘録としてまとめてみたいと思う。島原で実地調査をしてきたわけではなく、あくまで文献調査ということで。

そもそも

まず、「マスコミのせいで消防団員らが巻き込まれた」論の基本は

マスコミが盗電をした→マスコミを見張らなきゃいけないから消防団が危険地域に残った→みんな火砕流に巻き込まれた

というものだ。

1.盗電はあったのか

盗電騒ぎ自体は、上記論文の39ページ(7ページ目)に「避難した住民の民家にテレビ局のクルーが上がり込み、無人カメラのための電源を無断で使用していたことなどに対して住民の苦情があり、島原警察署長が2日に、島原市災害対策本部で取材のモラルについて要望した」とある。また、新聞各紙のデータベースで調べると、西日本新聞の6月3日朝刊に島原署がテレビ局1社の現地担当者を呼び事情聴取し厳重注意したという記事が掲載されていて、事実なのは間違いない。

2.では盗電阻止のために危険地域に入ったのか

だが、盗電によりマスコミ1社がきっちり警察のご厄介になったわけで、この案件は警察のお仕事のように見える。泥棒が入ったとき、警察より先に消防団を呼ぶ人はあまりいない。本来、火事の時のボランティア消防士であり、火事がないときは火の用心を呼びかけるのが仕事の消防団が、全力で泥棒の警戒に当たる必要があったのだろうか。消防団員は「マスコミの泥棒を防ぐぞ」ということにそこまで熱を入れていたのだろうか。

3.そもそも消防団はどこにいたの

上記論文中には消防団詰め所を最初、北上木場農業研修所に置いていたが、九州大学の太田一也教授の忠告を受け入れて、下流の公民館(ただし避難勧告地域)に後退させた。しかし6月1日に下流で避難勧告が解除されたので、元の北上木場(避難勧告地域)に戻したとある。つまりこれって、消防団の詰め所は常に避難勧告地域内の最前線に置いていたということだ。

4.消防団や警察はマスコミの警戒だけしていればよかったのか

論文中にあるように、犠牲者には普通の農家も6人含まれている。火砕流に巻き込まれたエリアで、農作業をしていたわけだ。避難勧告は勧告であって、避難をした方がいいけれども絶対に立ち入っていけないわけではなかった。4日にはさらに住民総出で葉たばこの花摘みをする計画だったそうだ。消防団にとっては「住民を守るぜ」という任務の方が大事だったのではないか。

もっと言えば、東日本大震災の原発事故警戒区域で、空き巣被害が深刻だったことは記憶に新しい。警戒区域ですら、福島県警はパトロールを強化せざるを得なかった(参考:福島県警、警戒区域パトロール強化 空き巣防ぐ  日経)。警察だって、厳重注意したマスコミなんか相手にするよりも、本格的な空き巣連中から避難地域を守り、住民の安全を守ることの方が大事だったように思う。

結論

これらのことを考えると、マスコミが1人もいなくなったとしても、台風の時と同じく畑を見回りたい農家さんもいらっしゃるし、無人エリアの空き巣に警戒しなきゃいけないし、住民を守るため土石流の警戒もしなきゃいけないので、警察と消防団がゼロになっていたとはとうてい思えないのだ。

1つ、忘れてはいけないポイントは、一連の噴火で火砕流が初めて確認されたのは5月24日で、それから大火砕流まで10日しかなかったことだ。2日に山に入った火山学者ですら1日後に火砕流に巻き込まれている。消防団も警察官もマスコミも住民も、おそらく誰も、あっという間に火砕流が大規模化して、今いる場所に襲ってくるなんて思っていなかったんじゃないか。

6月3日は雨だった。市議選翌日で人もあまりいなかったという。
だから、住民が少なかったから、警察と消防団もマスコミの連中ぐらいしか警備の対象がいないという状況になった。結果的に当日については消防団、警察はマスコミ相手の活動がメインになり、犠牲になった。しかし、これがもし翌日で、住民がたくさん避難勧告エリアに入っていたら、そちらの安全確保をしていて火砕流に巻き込まれただろうし、住民が誰もいないからって、地域を放棄して逃げられるものではなかったと思うのだ。

消防団も警察官も、別にマスコミのために嫌々避難地域に連れてこられたのではなく、それぞれ職務を全力果たそうとして、危険地域に入ってしまった

そう考えるのが自然な気がする。

ただし

マスコミの依頼で来ていたタクシー運転手はマスコミの巻き添えです。

あと、

火砕流映像、写真ほしさに危険地域に社員を送り込んだ当該マスコミは、それだけで極悪ブラック企業と呼ばれても弁解の余地はないでしょう。

 


さて、火砕流から20年後に発生した東日本大震災で、何か教訓は生かされたかと考えてみる。

ノンフィクション「記者たちは海に向かった~津波と放射能と福島民友新聞」にあるように、マスコミからは津波を取材しようとした記者人が犠牲になった。ほかにも海に向かって危ない目に遭った記者はいるようで、重い教訓を残した。

国のデータによると警察は30人、消防は27人が殉職した。

だが、消防団の犠牲者は254人なんだ。
水門を閉めたり、住民を避難させようとするうち、津波の襲ってくるエリアにとどまってしまい、黒い水に飲み込まれた。若者を失ったことが、復興の妨げになる
これって、雲仙普賢岳の消防団とまったく同じことなんじゃないかなあ。

違うのは、雲仙と違って、津波犠牲の消防団員は「お前のせいで団員が死んだんだ」と責める相手がいないということ。

今、消防団は、「率先避難者たれ」を合い言葉に、まず自分が率先して安全な場所に逃げて、そこから住民を守るために活動しようと戦略を変え始めた。

本当は雲仙の時に気付いておくべきだったことかもしれないけど、遅すぎることはないと思う。

 

長文なので、今後もちょくちょく修正をかけるかもしれないです。